一円硬貨のフロッタージュによるドットで群像を描いたシリーズ。小さな一円硬貨一枚一枚を人間一人一人の存在に見立てると共に、人間の存在が1の羅列に集約されていく感覚を表している。
一円硬貨や1ペニーなどのフロッタージュによるドットで、主に女性像を描いたシリーズ。モナリザ、ヴィーナスの誕生など、著名な美術作品をモチーフにしたものでは、お金と芸術、金銭価値に換算できないほどの名画と少額の小銭とのギャップ、サイズの大小によって変わる絵画の価格、モザイクになった男女と○○○円の女というタイトルから生まれる俗っぽさや猥雑さ、消費される性、などを考えながら制作した。
そして西洋絵画のヌードと、ポルノのヌードをモチーフにしたものを混在させた作品では、高尚とされる芸術作品と、卑俗なものとして扱われるポルノが、モザイク状になった画面の上でそれぞれが内包する美しさとエロスが混ざり合い、作品の上で芸術とポルノはフラットなものとなる。
一円硬貨や1ペニーなどのフロッタージュによるドットで、様々な肖像を描いたシリーズ。自画像を描いた作品では、社会に翻弄される人の姿を、自虐的に表現している。その他、紙幣に描かれている肖像や、政治家、Instagramに投稿された写真を元にしたものなどがある。どんな著名人も、一般人も、全て等しくワンコインで描かれる。
一円硬貨や1ペニーなどのフロッタージュによるドットで、紙幣や暗号通貨を描いたシリーズ。各国の紙幣を描いたものでは、タイトルは為替をイメージしており、作品の大きさが変わるごとにそのタイトルのレートが変化する。ビットコインを描いたものでは、紙とパネルの間には硬貨が入った状態であり、現実を仮想が覆い隠しているかのようだ。しかしそもそも紙幣や硬貨は元々物質と価値とが比例しておらず、通貨自体が人間の想像力を元にした仮想の存在であるともいえるだろう。
ドル紙幣に金箔を使用し描いた今シリーズでは、金をはじめとする金属の代替品として現れた紙幣の上に「金」箔を用いるという、入れ子のような構造になっている。それにより、ビットコインなどの物質的には存在しないが価値を持つものや、様々なイメージを描いている。
数万枚の一円硬貨が並ぶことで、硬貨は貨幣としてのルールから離れ、アルミニウムの物質的な存在感を露わになる。そこから見えてくるのは一円硬貨のものとしての魅力か、あるいはルールから離れることで逆に意識される貨幣のルールそのものか。それを見つめる人の姿を、硬貨が反射し映し出す。
敷き詰めた一円硬貨を紙越しに透かせて見せるシリーズ。敷き詰めた硬貨は紙に透け、表面に淡いドットとして表れる。濃淡の違いは金属の経年変化と、硬貨が様々な人の手を経てきたことによる汚れの差異だ。通貨は無機質で非情な存在であるように思えるが、硬貨に残るその跡は、人間同士の繋がりと営みの時間が凝縮されている。それは数字には置き換えられない、尊い生活の軌跡である。